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東森さんが築く 信頼が導く仕事の縁

人との関わりで道を育ててきた人

東森さんのお話をうかがっていると、人生の節目ごとに繰り返し現れる一つの流れが見えてきます。高校進学も、芸大への進学も、東京での音楽活動も、そして今の仕事も、その多くは「誰かに声をかけられたこと」から始まっていました。ご本人は「そんなに物事を深く考えてないタイプ」「もっとノリに近いんですよね」と笑いますが、その軽やかさの裏には、自分の感覚に正直に動いてきた一貫した姿勢があります。楽しそうだと思えばやってみる。嫌な感じがしなければ進んでみる。その積み重ねが、あとから振り返ると不思議なくらい自然な道筋になっていたのです。東森さんの歩みは、綿密な計画で切り拓いたというより、人との出会いの中で少しずつ形になってきた物語でした。

人と信頼をつなぐ関係の力

子どもの頃から東森さんは、友達に誘われて野球やそろばんを始めるようなタイプだったそうです。その感覚は大人になっても変わりませんでした。美術の先生に勧められて芸大へ進み、大学ではデザインを学びます。 ただ、実際に学んでみると、手を動かし続ける細かな制作作業は「自分の性格ではできないな」と感じたと言います。 そこで進んだのが、ミュージシャンへの道。中学生の頃に始めたバンド活動は大学在学中も続き、大学卒業してからも自分たちでCDの制作やライブを続けていました。25歳頃にはバンド仲間に「東京に行ってデビューしよう」と誘われ上京。インディーズでCDやミュージックビデオを出しながら、音楽で生きていくことにも本気で向き合いました。やれるだけやったと思えた30歳の節目で音楽活動に区切りをつけたあと、次に進んだのは芸能プロダクションでの仕事。ミュージシャンとして所属していたプロダクションの社長から「裏方をやってみないか」と声をかけられます。所属タレントのグッズや販促物の企画をする仕事を任されるように。 東森さんの人生は、いつも人との関わりの中で次の扉が開いていきました。ただ流されていたわけではありません。誘いを受け取れるだけの信頼や関係を、東森さん自身が知らず知らずのうちに築いてきたからこそ、その扉は何度も開いたのだと思います。

ものを作るだけでは終わらない、相手の先にいる人まで見る視点

現在、東森さんはデザイン事務所でプランナーとして、主に学校広報のサポートに携わっています。始まりは、大学時代の同級生と立ち上げたデザイン事務所で、母校に挨拶へ行ったことでした。そこから少しずつ大学の仕事を任され、コンペで大学案内を勝ち取ったことをきっかけに、学校広報の仕事が広がっていきます。けれど、東森さんの仕事は単に制作物を納品することでは終わりませんでした。大学案内を作るにしても、Webサイトを見直すにしても、その先にいる受験生や保護者がどう感じるかを考え続けるうちに、自然と「どうすれば生徒が集まるか」という問いに向き合うようになったのです。説明会に足を運び、受験生がどんな質問をしているかを見て、現場から必要なものを考える。そうして提案が生まれ、学校の広報担当者と伴走する関係が深まっていきました。東森さんが仕事のやりがいとして語ったのは、成果そのもの以上に「信頼できる人と仕事をすること」の面白さでした。相手が一生懸命で、こちらを信頼してくれて、自分もまた相手を信頼できる。その関係の中で仕事が動くからこそ、企画はただの施策ではなく、誰かの思いを形にする営みになります。喜んでもらうこと、信頼し合えること、そのための関係づくりを東森さんはとても大切にしています。会うこと、こまめに連絡すること、顔を合わせて話すこと。そうした一見地道な積み重ねが、結果として「この人と仕事がしたい」と思ってもらえる土台になっているのです。

つながりが未来の仕事を育てていく

東森さんのお話には、仕事論としても人生論としても、大切な示唆が込められていました。すべてを最初から決め切れなくてもいいこと。明確な戦略がなくても、心が動く方向に進みながら、人との信頼を育てていくことで道は開けること。そして、自分に合わない役割を無理に抱え込むのではなく、自分の得意な立ち位置を見つければ、長く続く仕事のかたちはつくれるということです。東森さんは、ものづくり一筋のクリエイターである相方さんと、企画や現場、人とのコミュニケーションを担うご自身とで、異なる持ち味を活かしながら長く歩んできました。その関係もまた、無理に同じになるのではなく、違いを認め合うことで成り立っています。これから先も東森さんは、学校広報という現場で、誰かに寄り添いながら新しい提案を重ねていくのでしょう。自分の感覚を大切にし、人と丁寧につながっていくこと。その先にこそ、思いがけない仕事や未来が待っているのかもしれません。そう思わせてくれる、静かで力強いお話でした。